わたしが生きててどっか苦しい理由。「すべき」から「したい」へ

癖で「〜すべき」ですべての行動の動機付けがされているみたいだ。

「好き」 でやっているのでなくて
「強制」 の意識

友だちに一度 「するべきで行動してる。〜したいで行動したら?」 みたいなこと言われて初めて自分がそんなに自分の首を絞める行動をしていたと知った。

どうにかこの癖を扱おうと、向き合っている。
まあ癖なので、悪いとわかっていてもなかなかしつこく癖が抜けない。

何度も、ああ、またやっちゃったなーということがある。
また 「〜べき」 で行動してるな、
自分がやりたいで行動してないんだなって。
それに気づいたときにクソ…とも思わず、そっかーと 受け入れる 形になっている点で少し成長した気がする。

癖は習慣だから、しかもこれは 思考 の癖だから治すとしたら本当に手のかかる、時間のかかることだと理解してる。
変えたいなーと無意識下で、アンテナを張っている。大事。

ところでなんで、〜べきから〜したいに移行したいのか。

誰に言われたのでもなくすべてを強制して生きてて苦しいから。なのだろうか。この癖に気付くときはよくそう感じる。あと、すごくリリースされる。好きなように生きてていいんだ、別に誰にも 迷惑かけない し。わたしが 誰かに大層な 影響与えるわけじゃない し。誰かわたしに 指図する権利もない し。

多分、やりたいについてったほうが断然生きやすいし、自然であったほうがわたしには合ってるのだと思う。

だから自分のやりたいきもちを聞いていく。

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