2019/07/05(金)
NDT(Netherlands Dance Theater)ネザーランド・ダンス・シアターの来日公演を見ました。
13年ぶりの来日公演、劇場内もSNS上でも大変盛り上がっていて、日本のダンス史に残る貴重な企画になったと肌で感じました。大勢の足と手と心が動きました。
個人的感想
あまり声を大にして言えませんが、ぶっちゃけると、とてつもなく心に響く作品というのはありませんでした。「すごい」と「心に響く」って違う感覚なのですが、前者は理性的、後者は感覚的…とも言いずらい…少し違います、またの機会に言語化します。期待値が高くてハードルが上がっていたこともあるかもしれません。自分の体調や心身の状態も関係します。
それでも言えることは、ダンサーのレベルの高さには圧倒されました。日本でこれほどのエネルギーをもらえる公演というのはなかなかないし、特に、日本でダンスをしている日本人には越えられない身体の強さ、エネルギーの出し方が一番印象に残りました。
響かなかったという経験もとても重要な価値で、経験です。見に行って本当によかったと思っています。
NDT来日公演がもたらす影響
大勢のダンス関係者やダンスファン、いままでダンスを知らなかった人まで多くの様々なフィールドにいる人たちがそれぞれが持っている課題や現状と結び付けたり、ただただ圧倒されたり、人生の大きな転換となった人もいるだろうと想像しています。それだけのエネルギーを様々な人間に与えることのできる器量を持ったカンパニー公演でした。
私が望むことは、世の中にいい、本質的な価値のあるダンスが広まっていくことです。
そのために日本のダンス周りの環境がよくなること。ダンスが好きな人、興味を持つ人が増えること。コミュニティーが活発になること。
って多くのダンス関係者が悩み、嘆き、行動していることかと思います。ダンスが好きな人たちは、このような課題についてよく話しています。私の力でできることは一滴くらい。
良質なものを多く作りだすこと。そのためには駄作も多く作り出されることになります。それを受け入れる土壌をつくること。心構えを持つこと。意識を変えていく。失敗があるからいいものが生み出される。
実績がなく可能性のあるものに投資していくこと。すでに完成されているものではなくて、これからの価値を見極めて投資すること。可能性を持つものが奮闘する過程や新しいものが埋めれていく土壌をつくっていく、提供する。わたしたちは欲してよい。結果は待たないとタイミングが来ないとついてきません。忍耐が必要。
ダンスに興味を持っている人を増やすこと、ダンスに価値を見出す可能性のある層に働きかけること、ダンスを紹介していくこと。
そのために今の私ができることは何なんだろうと考えています。学びと思考が追いつきません。
まず、13年ぶりにこのNDTが来日したこと。大きな意義があったと感じました。
愛知県芸術劇場シニアプロデューサーの唐津絵理さん。彼女が2018年の9月に行われた「Dance Lab ダンサー、言葉で踊る」というトークイベントでNDTの来日の情報を初めて耳にしました。その時、本当に興奮して喜んだのを覚えています。自分がNDTの公演を見られるという喜びと、そこでも招聘の難しさを思いました。わたしたちが想像する以上に困難な問題がたくさんあるということが、唐津さんのお話の様子から見て取れました。
NDT公演が日本で見られるという個人的な喜びや期待感よりも、社会においてNDT来日がどれほど大きな財産となり得るのかということにたいへん興味を持っていました。日本にいて、世界有数と言われるダンスカンパニーの公演を目にすることができるのは、とても大事なことです。日々の鍛錬とクリエイティブな挑戦と彼らの持つ才能からあふれ出てくるものは日本に住む人、ダンスにいま関係のある人ない人関係なく刺激を与えるものです。
公演プログラムの超個人的感想
動画で何度も拝見してたのですが、今回のソル・レオンさん、ポール・ライトフットさんの作品は好みでもなく、面白いと感じることはありませんでした。
作品とダンサーの関係。ダンサーの器量とキャスティングの難しさ。
ダンサーが振付をこなしている印象も強かった。しかし、後日、同日の公演を見に行ったダンサーと話をしていると、キャストによっても印象は変わってくるという話になりました。日本ツアーということで、普段のキャストとは違う組み合わせで出したこと。いつでも最上級の人たちばかり出していたら、若手ダンサーの育つ機会がありません。ずっといつも見慣れたあのダンスを見るとか、それほどにつまらないことはありません。若手か普段と違うメンバーでキャストを立てたのだとしたら、深みを出すところは難しかったのかもしれないと想像しました。
彼らの作品について。
次何が起こるのかという予測がついてしまい、構成的にも踊りのスタイルもあまり面白くありませんでした。あと、ダンススタイルが求める身体の強靭さ、高度なコントロール力とそれをクリアしていくダンサーの力量には目を見張るものがありましたが、見慣れてしまったようなことばかりがつまることなく展開されていくので鑑賞中に感動する場面はありませんでした。感心、感嘆するようなことはあっても。で、別に観客としての私はそれを望んでいませんでしたから。
別にただの「身体の効くダンサー」というのはあまり面白くないです。それよりも私がダンス作品を見るときに欲しているのは、生きているエネルギーが伝わってくるか、エネルギーのやり取り、コミュニケーションが踊りの中に埋めれているのかとか(一人で勝手に踊っているほどむなしく見えるものはありません)、意識が空間を掴んでいるのかとか、そういう部分なんだろうと思います。リスクがそこにあるのか。瞬間瞬間を生きているのか。振付をこなすことになっていないのか。一期一会の瞬間を生み出しているのか、毎回を初めて踊るかのように、味わいながらいるのか。その意識は観客として見ていると本当に見えるもの。その作品の踊りの中で意識が働いているということを観客が理解していないとしても、なんとも言えない不思議な感覚に陥る。観客が自主的に見に行くのではなく、身体と心が奪われるように吸い込まれるように作品世界に入り込んでしまう、舞台が見たい。
本当に高度なことを言っているので、その瞬間を見られる機会なんてなかなかないのは承知しています。ただ、NDTは有数のダンスカンパニー、ただネームバリューだけで生きているのではないとも思ったのでそこに期待していました。今回はたまたま私の感受性と彼らの出したものが不一致だったということと理解しています。
2人の振付家
マルコ・ゲッケとクリスタル・パイトの作品は印象に残っているシーンがいくつかありました。
特に、個人的にクリスタル・パイトの作品は元から好きで、『The Statement』の映画のように引き込む演出と着実にシーンを積み重ねていく構成で魅せられました。テーブルを使うということで、ウィリアム・フォーサイスのテーブルダンスと言われる『One Flat Thing』に影響を受けていることはもちろんそこから彼女のスタイルに誘い込んでいることがよく見えました。日本の舞台で見られたことはとても嬉しかったですし、これを日本に住む人たちが見られたことは大きな財産です。
『Work up Blind』マルコ・ゲッケの作風は本当に特質的なもので、見るたびに驚嘆します。特に今回強く感じたのは、ダンサーの個性が作品を通して垣間見える事。特に4つ異なるのプログラムが並んでいることがあり、ほかの作品と対比して、スタイルの中に生きるダンサーの在り方の違いについて考えさせられました。ソロ、デュオ、ユニゾンの詰め合わせのような構成がダンサーの個性を引き出すことになっているように見えます。
現在の上田が感じたことでした
ダンスを楽しむのは人それぞれの視点があるのにもかかわらず、ダンスに関係している当事者として、あまり好ましい発言ではなかったかもしれません。わたしにそれほどの発言力がないというのはわかっているけれど、いったん世の中に出てしまったらそれは責任を持つ一つの意見として存在し続けるのですからね。改めてブログに記すことにしました。
まだ、腑に落ちていないところがありますが、これからも考察と行動を続けていきます。
鑑賞の感想とその考察は。全ては憶測であり、視点をすり替えることでいかようにも定義することができてします怖いものだと思います。鑑賞者の体調や、その時興味あること、その時に考えている頭の中を多く締めていることや、いままで積み重ねてきた経験や思考によって、どう耐えようとしても必ずフラットな目線というのは持てません。必ずどこかでバイアス(偏見)がかかっている。ある意味そのバイアスをかけて鑑賞物を見られる、見ていいとされるのが、芸術の良さかもしれません。周りの声に惑わされず、自由にものを見て、他の人の自由に放たれた言葉も観察したいです。
本日はここまで。
よい一日を。
上田舞香
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